アラン・ドロンとジャン=ポール・ベルモンドが主演した『ボルサリーノ』では、町の顔役を排除してのし上った若いギャング2人組みが、ラストで互いを思いやってコンビを解消する決心をした直後、片方が敵に銃撃される。残ったもう一人は相棒の亡骸を抱えて呆然とするところでエンドロールとなる。フランス映画のラストシーンは往々にして、こんな感じで淡々と皮肉である。
当時25歳だったルイ・マル監督のデビュー作、『死刑台のエレベーター』では、ジャンヌ・モロー演じる人妻が、浮気相手をそそのかして夫を殺害させる。しかし浮気相手はその現場から逃げる途中でエレベーターに閉じ込められてしまう。事情が分らず疑心暗鬼で夜のパリをさまよう人妻。他にも思わぬ偶然が重なって、浮気相手は無関係の別の殺人容疑で逮捕され、人妻も夫殺害の共犯として刑事から問い詰められるが、既に観念した彼女の耳には刑事の言葉は届いておらず、今後何十年にも渡って刑務所で歳を取っていくことを考えて、ただ愕然としている。最後は「私は牢屋で歳を取る。けれど写真の中の2人は永遠に変わらない」という、負け惜しみというより、開き直りに近いモノローグで終わる。恋人の記憶には、現在のままの自分の姿が残るというわけだ。
およそ大河ドラマの主人公の最期は、“きれいに”まとめて終わらせるのが“お約束”だと思っておりましたよ。それが、後妻に毒殺されたという説は歴史文献にも登場するので目新しくもないのですが、まさか毒の出所が親友の三浦義村で、さらにはトドメを刺したのが姉の北条政子とは!!
確かに、終盤に入ってからの義時は苛烈を極め、その業は深まるばかりでしたから、これは何らかの報いを受けるだろうとは思っていましたが・・・。
最後の義時と政子との会話劇、「鎌倉幕府を支えた13人」ではなくて「確立させるために犠牲になった13人」と、もう一つの隠れた裏の意味まで明かされてびっくり。オマケに、自分がついた嘘はしっかり覚えておけと政子に叱られ、解毒薬を取り上げられてもがき苦しんで絶命するなんて! 物語の最大のクライマックスが一番最後に組み込まれていました! ・・・クライマックスというのは少し前に持ってきて、最後は静かに締めくくるものですよ、普通はね。ラストは、弟の苦労を労い(ねぎらい)ながらも、その孤独な後半生を思いやって哀しむ、政子のすすり泣きが続く中、画面がブラックアウトして終わるという、フィルム・ノワールの色が濃いフランス映画のような、ドライでシニカルな幕切れでありました。三谷さん、凄いです。
象徴的だったのが、小四郎義時の「変化」と共にだんだん濃くなる衣装の色ですね。初めは薄くて明るい黄緑でしたが、鎌倉幕府の中枢で重責を担うようになると、深く濃い緑に変わりました。さらに頼朝に代わって厳しい決断を下し、親を追放して執権の座に就き、政敵をバッサバッサと斬り倒すようになった時には、緑を通り越してもう真っ黒け。・・・もっともその頃には、最愛の息子、太郎泰時が、代わりに明るい綺麗な緑を着るようになっていましたけどね。歴史上、名宰相と言われている北条太郎泰時は、この救いようの無いドラマの中で、ほとんど唯一の希望の光になっておりました。ちなみに、太郎泰時の奥さんの初(はつ)は三浦義村の娘で、泰時とは「承久の乱」よりずっと前に離婚したという話もあるのですが、本作においては最終回までちゃんと仲良し夫婦でいてくれたので、ホッとしましたよ。やっぱりここでは、泰時くんは「光」ですから、幸せであって欲しいわけです。その為に父の義時が、全ての「罪業」を命懸けで引き受けたのですから。 ラストシーンでは、義時と政子が何度も太郎泰時の名前を口にしていましたが、それによって来る新しい時代の安寧を示唆し、主人公を含め、犠牲になった登場人物たちの無念を慰めているようでした。真っ暗闇に一条の光を差し込ませて終わらせたという点では、昔のフランス映画とは少し趣向が違っているかもしれませんが、どちらにしろ大河ドラマとしては面白すぎる衝撃的なラスト、これ以降の作品のハードルが、一気に上がったのではないでしょうか。さあ次はどうする?家康!
2023年1月6日・筆
